「その日を選んだ理由を、相手に説明できますか」

取引先の会長が契約の日どりにこだわる。担当者が「大安のほうが」と言ってくる。断る理由も、合わせる理由も、はっきりしないまま日が決まっていく。そういう場面に心当たりがあれば、この記事はその話です。

結論から書きます。この道具は、予測をするものではありません。決めるための補助線です。財務や法務の判断の代わりにはなりませんが、相手が何を気にしているのかを知る手がかりにはなります。

そして、この立ち位置は、当社が後から付けた但し書きではありません。原典は「同じ条件でも結果は違う」と書き、日の吉凶の規則を並べたうえで「網羅していない」「一つに決めて論じることはできない」とも書いています。この記事は、その順で見ていきます。

同じ生まれでも、同じ人生にはならない。原典はそう書く

滴天髄てきてんずい』という、生まれた年・月・日・時刻をもとに人を読む書があります。当社が「生まれで見る」と言うときの、もとになった書の一つです。その中に、こういう一節があります。

凡同年月日時,而百人各一應者,固當究其時之先後,又當論其山川之異,世德之殊,十有九驗,其不然者,不過此則有官,彼則多子,此則多財,彼則妻美,小異耳

もとの言葉では、『滴天髄』(当社の電子写しより/tekitenzui.txt:324)

同じ年・同じ月・同じ日・同じ時刻に生まれた人が百人いても、その百人が同じ道を歩むわけではない。原典はそう書きます。

そのうえで、何を見るのかまで続けます。生まれた時刻の、その中でも前か後か。育った土地の違い。家に代々あった考え方の違い。そこまで見よ、と。

同じ日に生まれた百人を並べ、行くえが違うことを濃さで示した図
同じ生まれでも、置かれた場所と積み重ねが違えば同じにはならない。原典が、自分でそう書いています。

経営の言葉に置き換えるなら、同じ数字でも、置かれた場所と積み重ねが違えば答えは違う、ということです。

当たり方についても、原典は書いています。「十有九驗じゅうゆうきゅうけん」。十のうち九つ。当たらない一つについても、片方には役職があり、片方には子が多い、片方には財があり、片方には良い連れ合いがいる、違いは小さい、と続けます。

正直に読んでおきます。ここは控えめな申告ではありません。この段は「よく見る者は、興りと衰えが分かる」で結ばれています。

では、なぜ当社がこれを引くのか。当てられると言うためではありません。「同じ条件でも、置かれた場所と積み重ねが違えば結果は違う」と原典が書いているところを、経営の判断を考えるときの比喩として当社が使えると考えているからです。

十個のうち九個が濃く塗られ、十個目に「小異」と添えられた図
残る一つも「小さな違い」だと続きます。限界の申告ではありません。

「ここに挙げるのは、ほんの一部です」

もう1つ、別の書でも同じ形が出てきます。暦の吉凶をまとめた『協紀弁方書きょうきべんぽうしょ』です。当社の写しの表紙には「欽定きんてい」とあります。成立した年や、編まれた経緯までは、当社では確かめていません。当社が日の見方を書くときに、よく引く書です。

今具列各條之下隂陽之變化無窮夫亦舉一隅雲耳

もとの言葉では、『協紀弁方書』(当社の電子写しより/kyoki-benpo-04.txt:72)

ここに挙げるのは、ほんの一部にすぎない。網羅していないことを、書き手自身が本文の中で書いています。

大抵凡日吉神多則吉凶神多則凶…亦未可以執一而論也

もとの言葉では、『協紀弁方書』が引く『考原』(当社の電子写しより/kyoki-benpo-04.txt:72)

よい日を示すものが多ければよい日、悪い日を示すものが多ければ悪い日。ただし、一つに決めて論じることはできない。こちらは編者自身の言葉ではなく、編者が『考原こうげん』という書から引いた一節です。編者は規則を書くが、その規則だけで決まるとは言わない。そういう書き方になっています。

2つに分かれる。「生まれで見る」と「その時で見る」

名前の多さで敬遠されがちですが、入口そのものは2つです。

1つは、生まれで見るもの。生年月日時から、その人の傾向を読みます。

天氣始於甲干地氣始於子支…遠可步於歲而統六十年近可推於日而明十二時

もとの言葉では、『三命通會』(当社の電子写しより/sanmei-tsukai-1.txt:69)

干支は年から時刻までを刻む物差しだ、という説明です。

ここも正直に書いておきます。この本はこの先で「將攷其細而知未萌之禍福」と書きます。細かく見れば、まだ芽生えていない禍福まで分かる、という意味です。その力を大きく語る側です。当社が引くのは、物差しの話までです。

星を使う方法もあります。

人命推排十二宮宮星為主實難通今人只論元來曜誰把宮神主宿窮

もとの言葉では、『星學大成』(当社の電子写しより/seigaku-taisei-3.txt:18)

生まれの盤に十二の場面を置き、そこに星を配る。この一節は「實難通じつになんつう」と言います。実に通じがたい、という意味です。当社は、これを方法そのものを疑う言葉ではないと読んでいます。続きは「いまの人は目立つ星ばかりを論じて、宮の主となる星を誰も窮めない」。当時の書き手が、当時の術者に向けて言っています。難しいから捨てよ、ではなく、難しいところまで見よ、という書き方です。

もう1つは、その時で見るもの。日を選ぶ方法が、ここに入ります。

厯家以建除滿平定執破危成收開閉凡十二日周而復始觀所值以定吉凶

もとの言葉では、『協紀弁方書』(当社の電子写しより/kyoki-benpo-04.txt:72)

十二の名前が十二日で一巡し、その日に当たったものを見て吉凶を定める。暦の作り手が、そう宣言しています。

取引先との話に出てくるのは、こちらの側です。「この日は避けたい」と言われるとき、話題になっているのは「その日」だからです。

使う前の線引き(3つ)

この道具を仕事で使うなら、先に3つの線を引いておくことをおすすめします。

1つめ。これは予測ではありません。原典が与えるのは規則までで、「今日が何の日か」の当てはめは、全部 当社の計算です。原典に書いてあるわけではありません。

2つめ。財務・法務・人事の実証的な判断を代替しません。数字や事業状況と併せて扱う、一つの見方です。

3つめ。原典と、後の言い習わしを分けてください。六曜ろくようがその例です。当社が手元に置いている古い本の写しは、全部で64あります。それを全部 掃いても、大安・仏滅・先勝・友引・先負・赤口の6つの名前は1件も出てきません。旧暦の月日から機械的に決まる規則は書けますが、その規則も古い本には見当たりません。いつ、どこから広まったのかも、当社の手元では確かめられていません。当社がしているのは、その規則で今日の分を計算することだけです。大安がよい日だという意味づけも、由来のはっきりしない言い習わしです。

ややこしいのは、「六曜」という言葉のほうは古い本に出てくることです。ただし別のものを指しています。当社の写しでは2つの書に出てきます。『張果星宗ちょうかせいそう』では「五星六曜」。木火土金水と並ぶ、日・月・気・孛・羅・計という星の名前です。もう1つは『遁甲演義とんこうえんぎ』で、こちらも日の名前ではありません。同じ言葉でも、指しているものが違う。この見分けは、この道具を仕事で使うときにも、そのまま効きます。

使う前の線引き3つを横に並べた図
この3つを先に引いておくと、あとで混ざりません。

当社が使っている型の組み方も、当社の設計です。どの古典にもありません。ここを混ぜないことが、この道具を仕事で使うときの前提になります。

【場面】経営判断のどこに関わるのか

たとえば、こんな会社があったとします(架空です)。

A社の社長には、契約の相手について分かっていたことがありました。年配の会長で、日どりを気にする。それを知ったうえで、契約日を大安に合わせました。当日、会長は「よく分かっているね」と言い、その話から場が和んだ、という設定です。

B社の社長は、日で商売が決まるなら苦労はない、という考え方です。段取りの速さを優先し、日どりは見ません。相手から何か言われたことも、いまのところありません。

A社とB社が見ているものを左右に並べた図(どちらも架空)
どちらが正しいという話ではありません。見ているものが違う、というだけです。

どちらが正しいという話ではありません。2人が見ているものが違う、というだけです。

A社の社長が見ていたのは、日そのものではなく、相手が何を気にしているかでした。B社の社長が見ていたのは、動きの速さです。

この道具が関わるのは、A社の社長が見ていたもの、つまり相手が何を気にしているか、のほうです。それを知り、説明できる状態にしておく。それが「補助線」という言い方の中身です。

次にすること

もし取引先から日どりの話が出たら、次の3つを分けてみてください。

相手が気にしているのは何か。自分の段取りで動かせるのはどこまでか。数字や契約の条件として、譲れないのはどれか。

この3つを分けられれば、日どりの話は判断を乱すものではなくなります。材料が一つ増えるだけです。

次の第2題では、そもそもなぜ人が暦を作ったのかを見ます。2つの入口に戻るのは、その次の第3題です。