「うちの会長が、契約の日にこだわるんです。あれは何なんでしょうか」
そう訊かれたときに、何と答えるか。「縁起でしょう」で済ませると、相手が何を大事にしているかは分からないままになります。
結論から書きます。暦を作った側の本は、日を選ぶ理由を「天を敬うため」と書いています。当たるからでも、得をするからでもありません。
日を選ぶ理由を、暦の本はこう書いている
『協紀弁方書』という、暦の吉凶をまとめた大きな書があります。私の写しの表紙には「欽定」とあります。成立した年や、編まれた経緯までは、私では確かめていません。私が日の見方を書くときに、よく引く書です。その書の中に、こういう問いがあります。
舉事無細大必擇其日辰義歟曰敬天也…示不敢專以尊天也
大小を問わず、事を起こすときに日を選ぶのはなぜか。答えは「天を敬うため」。
当たるから、得をするから、ではありません。敬うため、と書かれています。
経営の言葉に置き換えるなら、相手が日どりを気にするとき、こちらがそれを作法の話として受け取る余地があります。その方が何を守っているかは、こちらには分かりません。ただ、原典が置いた理由は「敬うため」でした。
観察が先で、記号は後
では、暦の道具立ては、何を説明するためのものだったのか。『五行大義』に、干支の由来が書かれています。こちらは五行の考え方をまとめた書で、私が干支や五行を扱うときに引きます。この書では、五行を水・火・木・金・土の五つとして扱い、そこから暦や干支を説明していきます。数え方も書の中に在り、「一に水、二に火、三に木、四に金、五に土」と並べられています。
支干者。因五行而立之。昔軒轅之時。大撓之所制也…始作甲乙以名日。謂之幹。作子丑以名月。謂之支
日に名前をつけるために甲乙を作り、月に名前をつけるために子丑を作った。用途から説明しています。吉凶を見るために作った、とは書いていません。
同じ書は、八卦についても順序を書きます。
古者庖羲氏之王天下也。仰則觀象於天。俯則觀法於地。觀鳥獸之文。與地之宜…於是始作八卦
空を見上げ、地を見下ろし、鳥獣のありようと土地のありようを観て、そのうえで八卦を作った。観察が先で、記号が後です。
仕事の道具として見るなら、この順序が肝心です。記号のほうから始めると、何を観ていたのかが分からなくなります。
ここで見たのは、八卦と干支の話です。暦そのものについては、まだ引いていません。暦のほうは次の節で見ます。
暦には2つの層がある。測る層と、意味を置く層
1つめは、天の動きを測って刻む層です。
司天之職首重氣候推畫夜米短以辦寒暑之進退察經緯曠合以識申星之推移皆所川奉天而為協紀之本
暦を司る役所の仕事の第一は気候を測ること。寒暑の進み具合を見分けるために、昼夜の長さを測る。星の巡りを見て、その移り変わりを知る。そしてそれは全部、天を奉じるためであり、暦を編む土台なのだ、と続きます。
前の節と繋がります。日を選ぶ理由が「天を敬うため」だったように、暦を作る仕事そのものも「天を奉じるため」と書かれています。
この引用には、私の電子写しで崩れた字が2つあります。「米」は字の形と前後から「長」で、つまり「長短」。長い・短い。それで「昼と夜の長さ」と訳しました。「所川」の「川」は「以」で、「所以」。〜のため、です。どちらも崩れたまま引いています。
2つめは、刻んだ日に意味を置く層です。
選擇神煞古有建除堪輿叢辰諸家
日を選ぶ流派がいくつもあった、という編者の整理です。
2つめは、1つめとは別の層です。そして私は、編者がこの2つを分けて書いていると読んでいます。
判断材料として扱うなら、この2層を分けておくことをおすすめします。測って刻んだ結果と、そこに置かれた意味は、出どころが違います。
暦の本が、脅す言い方を否定している
ここがこの題の山です。同じ編者が、こう書いています。
如曰若是則福不若是則禍則術士之曲説而非其本原也
こうすれば福がある、こうしなければ禍がある。そういう言い方は「術士の曲説」であって、本来の姿ではない。
暦の吉凶をまとめた書が、その中で、禍福で脅す言い方を否定しています。
ただ、この編者は「だから暦は無意味だ」とも言っていません。すぐ後に、こう続けます。
王充論衡闢之不遺餘力則又儒士拘迂而未見大義
王充という人の書がこれを力のかぎり批判したが、それもまた学者のこだわりであって、大きな意味を見ていない。そう書いています。
脅す言い方も退ける。全部を切り捨てる言い方も退ける。私は、これを真ん中に立つ書き方だと読んでいます。
同じ段には、引用としてこういう一節も出てきます。
或問時羣忌曰此天地之數也非吉凶所從生也
日々の忌みごとは天地の数。めぐりの仕組みであって、吉凶がそこから生まれるのではない。
こちらは編者自身の言葉ではなく、編者が引いた他の人の説です。
では、その真ん中とはどこか。段はこう締められます。
夫知其為天地之數則固修身者所當順也知其非吉凶所從生則一切拘牽謬悠之説具廢而所為順之避之者亦必有道矣
それが天地のめぐりの仕組みだと分かれば、身を修める者はそれに順うべきものだ。そして、吉凶がそこから生まれるのではないと分かれば、こじつけの説は全部なくなり、順う・避けるという行いにも、ちゃんと筋道が立つ。
仕組みだと分かったうえで、なお扱う。そこに筋道が立つ、という書き方です。
この段は、そう読めます。当てる道具として売るのでもなく、意味が無いと切り捨てるのでもなく、判断の材料の一つとして扱う。私の立ち位置は、この読み方の上に置いています。
凡例には、こうもあります。
其義不盡傳起例尤多襲誤今頗為蒐輯擇其近理而雅馴者加之解釋正其舛誤
意味は全部は伝わっておらず、起こし方には受け売りの誤りが多い。そこで集め直し、理に近く穏当なものを選び、解釈を加えて、誤りを正す。編者は、日に置かれた意味づけ、つまり上の層の多くを「受け売りの誤り」だと書いています。ただし、まとめて捨ててはいません。選り分けて残す、という書き方です。
取引先から「この日は避けたい」と言われたとき、その根拠がどの層のものかを問い詰める必要はありません。ただ、こちらが分かっていれば、扱い方が変わります。
次にすること
日どりの話が出たら、次の2つに分けてみてください。
相手が言っているのは作法の話か、効果の話か。そして、こちらの段取りで動かせるのはどこまでか。
私なら、まず訊きます。作法の話なら、合わせるのは難しくありません。効果の話なら、数字と条件の話に戻すことになります。
次の題では、暦の中身に入っていきます。